Life below Zeroー氷点下で生きるーを途中まで見た。
アラスカの僻地で暮らす家族や人のドキュメンタリーチックなシリーズ。
これを見てていろいろ考えたんだけど、ぶっちゃけ、今の進んだ生活ってもしかしたら生きづらいのではないか。
結局のところ、政府とか教育とかいいと思えても、自然の中で生きる力を奪われた人民は、彼らの言うとおりに働き、税金をおさめて死んでいくだけなんじゃないか。
正しいと思って来たことは、教育によって刷り込まれただけ。
生きてる!とかいい一日だった!とか感じられずに操られて誰かのために働かされて、死んでいくだけ。
なんか、ものすごい暗い気持ちになってしまった。
さて、題名に入れた言葉の解説。
そのドラマ(?)の中で、スノーモービルを使っている家族と、燃料無しで自分の身体だけで生活している人が対照的でものすごい違和感を覚えた。
スノーモービル家族は、自分たちが食べる以上の獲物を捕って、それを売り、現金に換えてオイルを買う必要がある。狩りをするのに一人当たりの捕っていい動物の数が決まっているから、あまり興味がなさそうな子供を極寒の狩りに連れていき、「合計15頭持って帰れる」的なことを言っていた。
一方、一人で自分の身体を使って移動して狩りをするスタイルの人は、オイルはいらないから、ものすごく気持ちが豊かで、獲物が取れなくても、心が平穏だ。
いつから人は焦燥感に追われるようになったんだろう?!
ご飯を食べる食べに働き続けれなければいけない。人類はご飯を食べるために、食べ物を得る行動とはまったく別の仕事をしてお金に換え、それを食べ物と交換して手に入れる。
働くことは、生きていくのに必要なこと
うん。それはいいと思うし、アラスカの僻地にいる人でも同じ環境。
でもね、問題があった場合、明らかに状況が違う。
働けなくなったとしたらどうなるか。
1.アラスカ・オイルを買い、充電式のツールを使っている家族。
お金がないので、オイルも買えず、家族も代わりに狩りに行けなくなり、餓死。
2.アラスカ・単独・リソースゼロで生きている家族。
働けなくなったら、暖を取る木がなくなったら凍死。
3.日本・あたし
働けなくなると、水道・電気・ガスなどが止まり、家を失い、車を失う。生活保護になり、自然死するまで生かされる。
上記を考えると、何かが起こったときに失うものが多すぎやしないか?自分!?!?
例えば、今使っているファンヒーターが電気が止まって使えなくなったとしたら、どうやって暖を取るのかしらないから、恐怖にかられる。
灯油が切れたら寒いから買わなきゃいけない お金お金
車のガソリンが切れたら移動できない。お金お金
失うことは恐怖なのだ。
一番初めに底をつくのはお金だ。でも真っ先に無くなるそのお金を稼ぐために仕事をしろと言う。
お金を稼ぐ方法よりも木炭の炭焼き方法を知っている方が生きられるよね。