Tuesday, December 1, 2020

自殺はありかなしか

人類という生き物は自殺はナシである。地球上の動物も植物も自殺をしない。種を守るのに自殺は論理的ではない。ただし現在の、特に先進国に住む人類にとっては、自殺は簡単に説明ができる。

先日CNNで日本人の自殺がコロナウイルスで亡くなるより多いとトップニュースになっていた。正直少し恥ずかしかった。ハラキリや特攻など、世界にはあまり見られない美化された死がある日本文化だが、現在増えている自殺は必ずしも祖国を救うとか責任を取るとか名誉を守るためではないと思う。

ワタシもかつて自殺を考えて何度も試みてうまくいかなかった。
自殺を試みる時の精神的状態は、「生きる」と「死ぬ」の選択があったとすると、「死ぬ」方が明るい未来に思える。「生きる」のは暗い長い道でありただ苦しいだけなのだ。

そんな時に「死んでも周りが悲しむだけ」とか「生きていればいい事がある」なんて言うのは非常にバカバカしい。それは「暗い苦しいまま息だけしていろ」と言われているのと同じだから。

今までどんな本を読んでも、インターネットで調べてもわからなかった、人が自殺を選ぶ理由がようやくわかったので書いておく。

自殺は人間が特権として持っている権利とか、死ぬ自由の権利などいくらでもこじつけることはできるけど、生物は生きるために生まれてきて、全力で生き抜くようにDNAに書かれている。

では、何故人は自殺を選ぶのか。

結論から言おう。
現在の先進国での人類の人生(生活)が不自然だからである。

二足歩行を始めてからの人類の進化の歴史は300万年とも700万年とも言われる。長い間かけてホモサピエンスは二足歩行、脳の巨大化など他の類人猿とは違う道をたどってきた。ダーウィンの進化論から言うと、進化は必要だから起こる。生き残る為に環境に適応するため進化が必要だった。

人類の歴史があいだを取って500万年だったとしよう。そのうち499万5000年は狩猟採集生活だった。人類は農耕生活のために進化してきていない。長い歴史のたった1/10,000が農耕生活。おまけに現在のような生活スタイルが始まってまだ100年しか経っていない。

今の生活は狩猟採集生活のために進化してきた人類にとって実に不自然なことなのだ。身体が現在の生活に追いついていないのはよく言われることだ。

庭で植物をいじっていて、気づいた事がある。
「植物は生き方を知っている」
植物は日光が当たる方に伸びる。日陰の方は葉っぱが弱々しくてすぐに落ちる。他の植物と根っこがかぶらないように上手に伸びる。インターネットで世話の仕方を調べなくても、土が悪ければ育ちが悪いし、日光や水が足りなければ枯れる。すごくシンプルに生きている。


うちで飼っている犬を思った。
「うちの犬は生き方を知っている」
ペットの犬にとって生きるためにはご飯をもらう必要があって、彼らは最も効率的な方法で餌をもらおうと頑張る。シンプルだ。

何故人間だけが生き方が分からないのだろう?
答えは現在の社会が複雑だからではなく、脳と身体が現在の社会構造で生きるように作られていないのだ。

植物に例えるならば、気温が高く乾燥した土で生きるように進化してきたサボテンが、急に涼しくて湿った土で生きなければいけなくなったのと同じだ。サボテンは乾いた土に合うように根を進化させてきているのに、急に湿った土に植えられれば途端に色が悪くなり枯れてしまう。弱ったサボテンに「適応しろよ!」とキレても生きられない。「生きていればいい事あるよ」と元気づけても効果はない。環境に適応できずに枯れていくサボテンを自殺だというのだろうか。

そもそも人間も植物と同じで、日が暮れたら寝るしかなかった。20万年前に火を使うようになってからは、夜は外敵を避けるために火を使ったと思うが、行動できるのは限定的だった。日が暮れる前にご飯を食べて暗くなったら寝る、それが人類が500万年やってきたルーティーンだ。

現在は100年前に電灯が広まり始めてから昼夜かまわず働かなくてはいけなくなった。おまけに春夏秋冬も関係ない。こんなに過酷な条件はかつて人類が遭遇したことがないんじゃないかと思う。もちろん獲物が取れなくて木の実をかじるしかなく、お腹が空いたまま寝る夜も多かったはずだ。でも、そんな夜があってこそ、次の猟は外せない。木の根でも葉っぱでも食えそうな物はかたっぱしから食ってみる必要があった。

冬場は活動量を減らして体力を温存するし、雨の日には雨に濡れて体温が下がり、免疫が低下しないように身体を動かさないように進化してきた訳で、雨の日にだるいのはそれなりの理由がある。現在は雨の日も寒い冬もいつもと同じパフォーマンスを求められる。これは普段気づかないだけで、身体やメンタルへのダメージは計り知れない。

人類の幸せの形は長い間、食べ物を食べることと安全な場所で子供を育てることだけだった。現在はどうだ?家を建てる、車を買う、質のいい余暇を過ごす、子供にいい教育を与える、いい服を着る。。。。。ありすぎて混乱するのは当然だろう。

自殺を考える人はセロトニンの欠乏とか感情の喪失だとか言われるが、どこで幸せを感じたらいいのかがわからなくて混乱しているのだ。499万年食べ物と居住場所があれば幸せだったのにいつからこんなに混乱してしまったんだろう?

日本の自殺数は先進国のなかでずば抜けて高い。何故なのかは明確である。
他の先進国は働けなくなってもフードバンクやシェルターがある。衣食住を社会が提供している。財源はほぼチャリティーで支えられていて、なんといっても教会がこれらのコア要素を提供しているのだ。ホームレス生活になる前にワンクッションあるのは、自殺者の少なさを表しているだろう。日本はフードスタンプはないし、住む場所を追われたらホームレスにまっしぐらだ。

生活保護をもらうには複雑な書類を記入したり審査があったりする。自殺を考えるほど抑うつな気分の人の脳はこの作業ができるはずがない。車をもつなだのめんどくさい規制も多い。そんな事を考えているなら、死んでしまった方が楽なのだ。

現在のアメリカでは新型コロナウイルスの影響などで仕事を失った人が日本のような複雑な手続きなしに食べ物をもらえるフードバンクがある。日本はまるで「税金を払うぐらいの能力がない奴は死んでしまえ」というシステムだ。どんなに世界で日本の評価が高くても、社会は弱者にまったく優しくない。それが自殺者の数に如実に表れている。

では、人類が自然に生きるとはどういうことだろうか。答えは至って単純で、現在で言う「サバイバル」生活だ。獲物を取ったり木の実を集めて少人数の家族を次世代につないでいく。自殺を考えている人には想像がつかない生活だ。何故想像がつかないのか。それは教育されていないからである。先進国は義務教育制度があり子供はそこで学ぶことになっている。「納税は国民の義務である」という言葉を繰り返し漢字ドリルで書かせて肝心のサバイバルの仕方を教えないシステムだ。この国土に生まれてきたら、無条件でその教育システムと社会に飲み込まれていく。選択肢はない。

狩猟採集時代の教育は、正義も平等もない、ただ生きる為の獲物の取り方、食べられる植物の見つけかただけだった。命をおびやかす外敵や同種の人類を殺すことは正しい事だった。

これだけグダグダといかに現在の人類の生活が不自然かを語ればなんとなくわかってもらえたと思う。

これを書いているのは、自殺を考える人に「不自然だからね、仕方ないよ。湿った土で生きなきゃいけなくなったサボテンみたいに枯れるしかないよ」と言いたいわけではない。
自殺を考えてしまうことは自然な事だとわかってもらいたい。何故苦しいのかわからずに苦しみ続ける人が少しでも心が軽くなればいいと思う。

自殺したいと思うのは、現代社会に生まれてしまったら普通の事である。

人類にとって不自然な状況で生き抜くことに何の意味があるのだろうか。偽善的な事は言わない。ただ言えるのは、人類はサボテンよりも大きな脳にある知識と、DNAに刻まれた直感的な知識がある。湿った土で生き延びる方法を考えられる能力があるのかも知れない。



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