リチャード・ドーキンスの本です。当然のことながら。
この本をベースにした日本語のブログなんかを見たけど、真意がわかっている人があまりいないとみた。
もちろんキリスト教圏では、この本は禁止されてるはず。でも無神論者の多い日本で浸透していないのはなぜだろう。日本の憲法や教育システムを作ったのが、戦後のGHQだからか。
遺伝子は、知れば知るほど自分が嫌になる人が多いと思う。これを読めるのはアスペルガーだけなのかも知れない。感情がないから事実だけでも知れば、現在の社会問題の説明がつくのに。
例えば大学で心理学部と言うのがあるけれど、心理学と言うのは若干古典化してきていて、現在は遺伝学、社会学、人類学、脳神経学に分かれてしまっている。うむ、ほかにもあるかな。哲学のような、ほかの学問への登竜門的役割なのかも知れない。
アタシの娘は20歳で、こないだ4年ぶりに会ったんだけれど、高校で家出して、元旦那と住んでいる。4年の間に大学の心理学部に進学していた。久しぶりに会った娘は、自分のミニチュアの様に見えたけれど、確実に自分になかった物を持っていた。
自己中なところだ。
アタシの容姿とアスペチックな頭の回転の良さ、知識への貪欲さ、武士感、メンヘラ(破壊衝動)、ここまでは自分も持っている。
彼女の持っている自己中な部分は、遺伝子的に必要であったから残ったのだ。元旦那は自己愛性人格障害だと思っていたけれど、彼の近況を娘が話してくれて、サイコパスに近いと思った。娘の大学の費用を払うのを拒み、成人式もシカト。彼女でなければ、元旦那とは暮らせないと思う。
利己的な遺伝子が、アタシのGene(遺伝子)を強化した形でこの世に残った。ものすごい面白い。そして彼女がうらやましい。もう少しアタシに自己中な部分があれば、人に振り回されずにぼろ雑巾になる必要もなかった。
元々彼女と仲たがいしたのは、アタシが「お前は自己中だ、家族をサポートしないなら出ていけ」とぶっちぎれたのが原因だ。しかし、4年後彼女の自己中心性は、彼女のメンタルを守ることになった。気に入らない相手に対して「つーか、お前ダレ」と言う姿勢が取れるのである。その態度は彼女の生命をも守る。
おまけにこの4年間で「つーか、お前ダレ」的態度はTPOに合わせて出し入れすることが可能で、かつ客観性を欠いていないため、彼女の強力な武器となる。うらやましいことこの上ない。
一方息子にはロジカルな部分と観察力、映画などの一瞬を切り抜いた時の美的感覚、幅広い知識範囲、政治・経済・宗教・人種・社会構造すべてにおいて興味がある部分などが遺伝し、聴覚・視覚・触覚・味覚過敏などの面倒な部分は遺伝していない。彼が持っているアタシにはない部分は、数学・化学・物理学的考え方と、SFなどのファンタジー拒絶がない部分だ。
科学はファンタジーを拒絶していては進歩しない。ファンタジーを証明していくのが科学だからだ。恐竜がいたことが事実だとしても、CGに起こした時点でファンタジー化していると萎えるようなアタシみたいな奴は、科学者にはなれないのである。
今日の題名であるリチャード・ドーキンスの遺伝学を語るとどうしても知能指数や才能が論点になるが、そういった尺度と言うのは、人間が作り出した社会が作ったもので、生きるためのツールではない。本当の生きるためのツールとは、過去に木の実がいっぱい取れた場所や獲物が取れる場所、風のにおいをかぎ分けるなどの気候を記憶する能力と観察力、経験と知識を次世代に伝える表現力、仲間を救うための利己的な行動力なのである。
さて、リチャード・ドーキンスが一番手を焼いた遺伝や化学を受け入れない宗教についても考えなきゃいけないんだけども、それはまた今度。